ぬこたそそと星降る男もげげほげげ

空想したり文章を書いたりするのがすきです。いまできるからうれしい。うれしい。

あずまぬめり

 

 

 

 

 何年も前から、都内の某私鉄を使って通勤している。

 ご多分に漏れず、その電車も相当混雑している。一日仕事をして消耗するエネルギーの多くが、朝の通勤ラッシュ時に費やされているのではと思ったりすることもあり、そういう風に思ってしまうと途端に疲れがどっと足に溜まってくるような気怠い気分となる。

 電車がホームに着くと、狭いドアから多くの人が一斉に細いホームに溢れ、改札を出るためや乗り換えのために階段を昇りはじめる。途中でゴミが落ちていたり、端が少し欠けていたりする古びた階段なのにも関わらず、きれいなリズムが乱れることもなく、多くの人の後頭部が一定の間隔で上下に少しずつ揺れながら徐々に階段を昇っていく。寝ぼけまなこで歩いていたり、疲れが残っていたり、満員電車で腰を痛めてしまっている人が少なからずいるであろう集団なのに、足を踏んだ踏まれたとけんかしたり、転んでしまっているような場面に遭遇することはほとんどなく、注意喚起の叫び声をあげることすらなく、みんながスムーズに、1つの集合体のように進んでいく。

 私もそのなかの一人として改札に向かう階段を昇っている時に、隣りをぬるっと何かが通り抜ける気配を感じた。もう、だいぶ前のことで、その頃は、私は結構元気に仕事に通っていた。

 階段を昇る時は基本的にみんな同じペースであり、たまにどうしても慌てている人などは、すみませーんといった掛け声をあげながら前の人を追い越そうとするのだけど、前を歩いている人も足を止めると自分のリズムも全体のリズムも崩れてしまうので、簡単には立ち止まって場所を譲ることなどはできない。結局、無理して追い越そうとしても危険なだけで、ほとんど効果はない状態となるので、たとえホームや改札に向かう通路で走ってる人でも階段になるとみんなと同じ歩調となるのが普通だ。しかし、ぬるっとした何かは、私がそのぬめりに気付いて横を向いた時にはもう既に横にはいなく、前を向くと、私の数歩前の階段を昇っていた。偶然、私の前にいた数人の背丈が低かったので私はそのぬるっとした感じで階段を昇っていく男の後ろ姿を捉えることができた。彼かな?と紺色のリュックを背負った男に目星を付けた時には、彼はさらに先に歩いていた人たちを追い越して階段を昇っていった。彼は一言も声をあげることもなく、また、追い越された人や彼の周りの人が、危ないといった類いの怒声を発したり嫌悪を表すような仕草をすることもなく、まさにぬめるように独自のスピードで階段を昇っていった。その時は、何のトレーニングのつもりか知らないが、ああいう風に掛け声も出さずに自分のペースで階段を走っていっちゃう奴がいるから将棋倒しになったりする事故とかが起こるんだよなと不満に感じただけだった。

 

 それから半年くらい経って、またその男を同じ駅の階段で見た。男は私の右肩のそばをまた、ぬめるように抜けていった。その時も通勤ラッシュ時だったので階段は人でいっぱいだった。私はその時に階段の一番壁側を歩いており、この階段はわりと広く、十人以上は横に並んで歩けるほどあったのだが、その男は階段の一番右端を一直線に昇っていった。以前と同じ紺色のリュックを背負っていたので、私は彼があの男だとすぐに気付いた。この階段の狭い隙間を人の肩にぶつかりもせずにうまく昇っていけるものだと不思議に思った。前を歩いている人や後ろを歩いている人が彼の動きに不満を感じていないのか周りの様子を窺ったが、自分以外の誰も彼を特に気にしている様子はなかった。何かぬめるものが付いてしまっていないかと肩を触ったのだが、もちろん何も付いてはいなかった。彼の階段の昇り方は、ゼリーをスプーンで掬う時のような、iPhoneのタッチパネルを指でフリックする時のようなぬめり感があった。男が背負っていたリュックにはメーカー名なのだろうか、剥げかけた白地のプリントでAZUMAと書かれており、私は彼のことをあずまぬめりと呼ぶことにした。

 

 その後、私は駅の階段を昇っている時にふと、あずまぬめりのことを思い出すと、ちょっとだけ真似をしてみようと歩みの速度をあげようとしたことが何度かあった。しかし、当然のことながら、前の人を抜かすどころか歩みを早めようと試みるだけでバランスを崩し、つんのめってしまいそうになった。一体どうやって昇っていってるのだろうと不思議に感じはしたが、ラグビーの選手がタックルを避けながら走っていくような方法で昇ってるのだろうなと想定し、それ以上に特別な疑問は抱かなかった。

 

 

 三度目にあずまぬめりを見掛けた時には、私はだいぶ満員電車が辛くなっていた。仕事がうまくいかず、毎日夜遅くまで仕事をしていたせいで疲れも溜まっていた。

 所属していた企画開発部に新任の部長が来てからというもの、私はことあるごとに彼と意見が衝突した。主力商品の売れ行きが鈍化しているために事業部の収益性が悪くなっており新商品の開発は今まで以上に重要課題となっていた。新任部長にしてみれば最初からヒット商品を開発して実績を上げたいと思うのは当然であろうが、そう簡単にヒット商品が生まれるものではない。長い間営業畑を歩んできた人物が開発部の部長に就任すると聞いて、クライアントのニーズを把握した部長による新しい風が部内を刷新してくれると我々の多くは期待していたのだが、部長の口から出てくるのは、顧客が満足する商品とか、Win-Winとなるプロダクトの提供とかといった具体性に欠けた発言か、気合いでアイデアを出せとかといった精神論ばかりであった。

 朝令暮改の指示による企画書の改訂のために開発スケジュールは徐々に遅延していった。今思いついたといったような感覚で、こんな風に企画内容を変えてみろと言われた。企画書を申請するには、現状のマーケティング結果やプロトタイプ作成が必要ですと伝えても、今までにそういうことをやったことがない部長からは、そんなもの今からサッとやっちゃえばいいだろというスケジュールや予算を度外視した発言が出るだけだった。私は初めて企画部門で働く部長をサポートする意図で何度も企画書提出に必要な添付物とかそれを用意するのに掛かる大凡の日程とかについて説明を試みた。しかし、部長の口からは、営業だったらそんなものすぐに揃えられるぞとか、そういうふうに対面を保つことばかり考えているから企画はダメなんだと営業部の讃歌を聞かせられるばかりだった。そんななかで、私が所属しているチームの企画開発の納期の期日が一番近くであったため、部長の注目も他チームの感心の目も私たちのチームに注がれてしまった。今までとは違った指示を出され、かつその指示が正しいとは思えない状況のなかで無情にも納期だけが差し迫るにつれて、部長との意見の衝突は増え、チーム内に軋轢が生じ、次第に会社に行くのが億劫になっていった。

 

 

 以前は電車が止まりドアが開くと、人の流れに乗ってホームを歩き階段を昇り改札を出ていったのだが、その時は電車を出てホームを歩いて階段に着く頃には人の流れの最後尾となっていた。今までと同じような場所から電車に乗り降りしているのに、なぜ最近はこんなに最後尾になることが増えたのだろうかと不思議に感じることもあったが、オフィスに向かっている途中で何らかの理由で仕事が休みになればいいなと思いながら歩いているせいであるということも当然気付いていた。そんな風に子どもが思うような具体性のない願望なんて何にもならないことなど百も承知ではあったが、階段を昇る時に気持ちの重みや疲れがずしりと響くたびに、自然とそう思ってしまっていた。

 そんなある日、あずまぬめりは最後尾を歩いていた私より更に後ろから私の横をぬめるように抜き去り、あっという間に階段を昇っていった。肩の横をぬめる気配を感じて前を向き紺色のリュックを見つけると、またあいつかと私は苛立たしく思った。こういう風に秩序を乱して自分勝手をするやつがいるから困るんだよ、と小さく呟いた。

 数歩階段を昇った時、私は再び肩にぬめり感を感じた。横を向くとそこには先程階段を昇っていってしまったあずまぬめりがいた。あずまぬめりは私の顔を見ようともせず、「肩の幅と肩の厚さを違いを理解すること」と言った。突然話しかけられ尻込みする私を全く気にすることなく、あずまぬめりは「肩から指先にかけては指示器の代わりにもなる」と続けた。

「階段一段の奥行きと高さ、歩幅、パーソナルスペースの範囲を知ること」

 それだけ言うとあずまぬめりは、親指をあげてグーというジェスチャーをしたかと思うと、ぬめるように階段を昇っていってしまった。

 

 

 私は会社に着くと自分の椅子に座り、両腕を横に広げた。そして今度は前を向いたまま体を捻り、両腕を前後に広げた。後ろに広げた手の平が背後の席の同僚の肩に触れた。