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ぬこたそそと星降る男もげげほげげ

空想したり文章を書いたりするのがすきです。いまできるからうれしい。うれしい。

みなぎる世界

 

 

 

 

 ふと目を覚ました。まるでコトリと音がしたような、音がしたから目が覚めたとか、音がしそうだったから目を覚ましたとか、そういうタイミングではなく、コトリという音でスイッチが入ったように目が覚めた。いつものくせでまぶたを両手で何度も擦りながら、いつもと違う雰囲気を感じた。

 今が朝だとか夜だとか時間とか曜日とか、そういったものが全部あやふやなのに一向に気にならない。やわらかい空気のクッションで全身を包まれているような感覚。部屋の全方位から微かに朝日のような陽射しが零れている。

 私はゆっくりとベッドの縁に座り、軽く伸びをしながら横に脱いであるスリッパを爪先で探した。いくらか爪先を動かしたがスリッパが見つからなかったので、そのまま裸足で床に足を付けた。裸足ではまだちょっと冷たいかなと思ったが、そんなことはなかった。良い季節になってきたものだと嬉しく感じながら、洗面台に向かって歩いた。

 軽やかな気持ちを反映するように足が床を離れるたびに心が浮いた。

 

 洗面台のドアを開けて鏡を眺めると、一瞬、いつもと比べると何か違和感があるように思ったが、そのまま鏡の下にあるスイッチを点けた。やわらかな蛍光灯の灯りで室内が明るくなると、それは違和感ではなく違いであると気付いた。部屋がみなぎっていた。

 

 周りがみなぎっていた。

 鏡も洗面台も天井も壁もシンクも、ほんのわずかばかりだがいつもよりみなぎっていた。

 少し動揺したが、寝起きの目の錯覚かと思い、鏡越しの自分の表情を眺めた。若干むくんでいると言えばそうも見えるのだが、いつもとさほど変わらないようにも見える。

 鏡の縁を指でなぞってみた。指先の感覚では全く平坦に感じた。目を瞑って数度繰り返し縁を上下左右になぞってみたが、目を開けているときと同様に普通の鏡を触っているように感じた。私は目を開けて鏡を見つめたが、やはり鏡は微かにみなぎっていた。しばらく気になり鏡の四隅や壁の四隅を眺めていたが、まあ、いいやと思い、蛇口に触れた。いつもよりほんの少しやわらかい感触がしたようにも思えた。

 蛇口を捻り水を出した。

 いつもよりほんの少し弱い力で蛇口を捻り水を出すことができたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

 水はやはりいつもより少しみなぎって出てきた。

 

 やはりな。

 そう思ったが、私は敢えて気にしないことにした。なぜなら、もし、いつもよりほんの少し蛇口がみなぎっていたとして、いつもと同じ力で蛇口を捻ったとしたらいつもよりほんの少し水がみなぎって出てくるのは当然のことで、もし、いつもと同じ蛇口だったとしても、いつもよりほんの少しみなぎった力で蛇口を捻ったとしたらいつもよりほんの少し水がみなぎって出てくるのも当然のことだと理解したからだ。これらは理にかなっている。そう思えた。そして、それならば音はどうなのだろうと思い、理にかなっている。と言ってみた。

 やはり音も少々みなぎっているのかもしれない。

 しかし、ここは四隅を壁で囲まれた狭い空間なのだ。はっきりとみなぎっているかどうかはわからなかった。私は音の確認を後の課題として残した。

 

 手を洗ってハンドタオルで拭こうとした時に、タオル掛けにかけておいたハンドタオルはみなぎっているようには見えなかった。早速、理論破綻しているな。私はそう思い、そっとほくそ笑んだのだが、タオル地の構造によるものなのかもしれないと気付くと裏をかかれたようなばつが悪い気分となった。

 私はタオルを指で押し広げてみたり、顔を近づけて編み方を確認してみたがよくわからなかった。そもそも、今までタオル地の織り込み具合を確認したことなど一度もない。タオルを広げて蛍光灯の光で翳してみたが、特段、違和感には気付かなかった。

 ルーペで見ればわかるかも。

 私は自分の閃きに嬉しさを感じた。ルーペでタオル地を確認すればタオルもみなぎっているかどうかがわかる。慌ててドアの取っ手を手にした時に、私は自分がルーペを買った覚えなどないことに気がついた。

 

 うちにはルーペはない。

 

 ルーペなど持ってもいないのにルーペを取りにいこうとした私は少々みなぎっていたのかもしれない。普段より少し発想や行動がみなぎっていたせいで、私はありもしないルーペを慌てて取りにいこうとしたのだろうか。私は鏡の角を眺めた。やはり今でも鏡はすこしみなぎっている。そして壁も角に向かうにつれて、いや、角まで確認しなくとも、みなぎっている感は否めない。

 私はなぜ部屋にルーペがないということをこんなに明確に判断できたのだろうか。一瞬にして自分の買い物履歴を確認してルーペという存在が家にないことを判断できてしまうこと自体が、そもそも私がみなぎっている証拠ではないか。

 

 私はドアを開けてベッドルームに戻った。

 すぐにカーテンを開けて外を眺めてみようとも思ったが、一気にみなぎった世界を眺めてしまうとひどく立ち眩みがしてしまいそうな気もしたので、とりあえずベッドの縁に腰を掛けた。

 なぜ、私の部屋にはルーペがないのだろう。私はルーペがないままで暮らしていた今までの生活に少し不安を覚えた。

 ルーペ1つも持っていない生活。

 私の世界はみなぎっているどころか、少々へこんでいたのかもしれない。ルーペはほんの一例にすぎず、私の生活には他の人の日常からみたら不足しているものがたくさんあるように感じた。この感覚は今始まったわけではなく、ずいぶん前からあった。具体的に品物や事象をあげていけば、たしかに不足している名称がでてきたが、それらを満たせば充足するといった類いの感覚ではなかった。

 

 もしかしたら、この少しみなぎっているという感覚が普通の状態なのかもしれない。

 

 私はベッドシーツを数度手の平で擦った。そして、右足の踵で足を慣らすように二度床を踏みしめてからゆっくりと立ち上がった。

 私は予め眩しそうな目をしてカーテンに向かった。