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ぬこたそそと星降る男もげげほげげ

空想したり文章を書いたりするのがすきです。いまできるからうれしい。うれしい。

舐め地図

 

 

 

 

 私が初めて、舐め地図ということばを耳にしたのは、たしか、小学五年の夏だった。

 ある年から、父方の祖父と祖母の住む千葉の外房に数日の間、家族揃って帰省しており、それは私にとっては三度目の訪問であった。

 若い頃、祖父とそりの合わなかった父は、地元の学校を卒業すると東京に出たきり、結婚の報告すら長い間、実家にしなかったようだった。

 父の祖先は、何代も地元の議員としての公務に就いていた。祖先と同じく議員の職に就いていた祖父の厳格さを、若い頃の父は受け付けることができなかった。そんな話を、祖父と出会う前に、何度か母から聞いた事があったので、祖父は、厳めしい顔つきをした、無口で傲岸な老人に違いないと想像していた。それが理由で、三年生の夏休みに、初めて父方の実家に行くという話を聞かされた時には、いつまでも夏休みが来なければいいのにと、楽しみな夏休みを返上してしまいたいと思うほどに拒絶反応がでていた。

 

 

 実際に会ってみた祖父は、小太りな腹を揺らしながら笑って、私の相手をしてくれる優しい老人だった。不安はただの杞憂に終わってくれた。家から、たった1度乗り換えれば着いてしまう都内にある母方の実家にしか行った事がなかった私にとって、地図上の移動距離から想定する時間よりも、遥かに長い時間を必要とする千葉の外房への帰省は、ちょっとした冒険旅行のように感じたのもあり、すぐに、父方の実家に帰省するのが、私の夏の楽しみの1つとなった。

 

 

 祖父は、東京生まれで東京育ちの私に、多くのことを教えてくれた。

 父の仕事の都合で、いつも祖父の家には三日ほどしか滞在はできなかったのだが、祖父は私のために過密スケジュールを用意してくれていた。まるで、特別なパスポートを持っているおかげで、待ち時間なしで次から次へと遊園地の人気アトラクションを乗り回せているような気分だった。

 

 

「ゆっくん、ほら。これみたことあるか?」

 そういって、祖父はクワガタだとか釣竿だとかを見せ、それが私の興味を惹くものだとわかると、優先順位をあげて、例えば、カブトムシを捕まえにぶどう畑へ連れて行ってくれたりとか、沢蟹を見るために岩場に連れて行ってくれたりとかした。

 私は祖父が私のために作ってくれた竹とんぼとか竹笛とかにはあまり興味を持たなかったが、自然には多いに興味が湧いた。父の兄は結婚後も実家で暮らしているので、私より3つ年上の、従兄弟の尊は、普段から見慣れてしまっている身の回りにある自然にはあまり興味がなく、外へ遊びに誘っても、嫌々ながら付いてくる有様であり、どこに行くにもゲームを手放さないような状態であった。祖父からしてみれば、自分の故郷の自然に触れる事に喜びを感じてくれる私は、嬉しかったのかもしれない。

 

 私にしてみれば、自然の広さも複雑さも驚きの対象であった。そして、祖父の家の周りにある自然は野生動物を間近にすることのできる数少ない場所であった。また、学校の社会の授業で、公害によって川が汚れていると習っており、実際に、当時住んでいた近所の水路に掛かっている短い橋は、ゴミの架け橋というあだなが付くほどの状態であったにも関わらず、どうして、ここには、このように濃い青色をした海が広がっているのだろうと思うと、自然を含めた世の中の仕組みが不思議でならなかった。

 川から海に変わるところで、町内会とかで掃除当番になった大勢の人が順番にゴミを掬ってくれているのだろうかとか、海には大きい魚がいるので、それらの魚がエサと間違えてゴミを飲み込んでしまっているために、ここら辺の海はきれいになっているのではないかと、子供の目線で思いつきそうな疑問を持ち、もっと実際のことを知って行きたいという気持ちが、自然に対して興味を湧かせた一因であったように思う。

 

 

 

 

 五年生の時の帰省は、予定されていた直前に大型の台風が来たので、取りやめになるのではないかと不安だった。その年から私は、進学予備校の夏期講習に行かされており、雨風はその講習の前期工程が終わる日の夕方に激しさを増した。

 嫌な夏期講習の間に台風が来れば、休みになって嬉しいのに、わざわざ講習が終わったのを確認したかのようにやってきた台風を思うと、世界中の不幸を一身で背負い込んだような重い気分となった。

 

 台風のために、いつもより早く帰宅した父も一緒に夕食を囲んでいると、母が、

「今日、おとうさんから、『来れそうか』と電話いただいたわよ」と祖父から電話があったことを父に伝えた。

 父は首に掛けていたタオルで、風呂上がりで汗ばんでいる顎のあたりを軽く拭きながら私の方をみると、

「勇人は嬉しそうだな」とだけ言って、缶ビールを手にした。

 

 

 

 今まで帰省したなかで一番の美しい空じゃないかと思えるほどの快晴のもとで、長時間電車に揺られて父の実家に着くと、祖父は玄関まで私を出迎えてくれた。そして、

「きれいに晴れた。きれいに晴れた。ゆっくんが勉強頑張っている証拠だな」と言って豪快に笑った。

 

 お昼ご飯は、私の好きな唐揚げとか焼きそばとかが並んでおり、皿を運んでくるたびに祖母は、

「ゆっくん、これ好きでしょう」と言った。

 言葉数が少なかった祖母に対する私の記憶は、この、食事を運んできてくれる時のせりふと、祖父の家に着いたときの、「遠いところを、よお、おいでになった」というせりふを発している時のものが多くを占めている。

 私は元気よく、

「うん、すごく好き」と返事をすることで、ご馳走を作ってくれた祖母に感謝の気持ちを伝えた。

 

 当時、大好きだった炭酸飲料が何種類も食卓に並べてあるのを見て、隣りに座っていた母が、

「良かったね、おじいちゃん家だといくらでも炭酸飲料を飲ませてもらえるからね」と言うと、父と一緒になって瓶ビールの栓をあけ始めていた伯父が、

「勇人。そんなんばっか飲んでいたら、尊のように太るぞ」と言って笑った。

 食事前でもゲームから目が離せないでいる尊は、一瞬だけ明らかに不機嫌そうな視線を伯父を送ると、

「ビールなんかより、うまいだけましだ」と言い捨て、ゲームに目を落とした。

 

 

 祖父はわたしの向かいに座り、

「ゆっくん、うまいもの食ってるなあ。これみんなゆっくんの好物だろう」と言うと、普段祖父が使っている自分用の茶碗より少し大きめの茶碗を手に取り、

「じいちゃんはな、やっぱりこれだ」と、その茶碗を持つ手を少し上げた。

「ゆっくん。これ知っておるか?」

 そういって、祖父の前の皿に盛ってある刺身のようなものを指差した。

 私が不思議そうに皿を眺めてから、祖父を見返すと、

「これは、なめろう」とゆっくりした声で言った。

 見た目から、たぶん魚の刺身だろうとは想像はついたが、ギャグマンガか何かのキャラクターのようなその名前に可笑しみと不可思議さを覚え、返事に困ったような表情を返した。

 すると、祖父は、

「良い名前だろう。そいじゃあ、これは?」と言って、そのなめろうを茶碗にいれ、お茶漬けのようにお茶を注いでから、その茶碗を指差し、

「おぬしは孫じゃ、これは孫茶」と言って笑った。

 そこにようやく、食卓の準備の終わった祖母が席に着き、

「ゆっくんも海が好きだから、大人になったらなめろう好きになるねえ」と、珍しく自ら会話を始めた。

 私はそれが、父がビールを飲む時にあると喜ぶ、ちょっと苦い味のする刺身とか海産物のようなものに違いないと予想はついていたものの、なんだかその名前の響きがエッチなことのように思えてしまい、もしそれがそういう類いの言葉だったとしたらすごく恥ずかしいことになると考えると、相槌を打つこともできず、苦笑いのように歪ませただけの表情を祖母に向けた。

 

 食事中も片手だけはボタンを押しながらゲームの画面ばかりを見ている尊が、側耳を立てて私の様子を窺っているように感じたし、せっかく話してくれた祖母に、しっかりとした返事ができなかったのも申し訳なく感じた。以前にも何度か想定したことがある、もし自分に兄弟がいたらというイメージのなかで、一番強く、自分に兄がいてくれたらなと思う瞬間であった。

 

 

 

 台風のせいで、海水浴に行ったり、夜のぶどう畑にカブトムシを採りにいく事ができないことを予想して、祖父は、私に宝探しを用意してくれていた。

 朝、私は祖父から手書きの地図を受け取った。

 地図はだいぶ日に焼けた藁半紙のような紙に墨で描かれており、宝なんてそうそう存在するものではないとわかる学年だった私も、祖父だけが知っている、ずっと昔の祖先が隠しておいた宝が本当にあるかもしれないと思わせられてしまうような精巧な出来映えであった。それに、祖父の家を含め、周りには古めかしい蔵のある大きな家が多く、家中の家具が全て見える場所に置かれているマンション生活のなかで生まれ育った私にとっては、久しぶりに蔵を掃除したら誰も覚えていないような古い家具が見つかった、などという会話が平然と出てくる祖父の家には、私には価値がわからないが、歴史的に重要なものが見つかる可能性は大いにあるかもしれないと思わせる奥行きがあった。

 

「そいじゃあ、ゆっくん。行くか」

 そう言って、玄関を出た祖父に続いて、私も外に出た。

 

 

 

 水彩絵の具で薄く塗ったようなきれいな空の下を、私が見つめている地図を祖父も横から覆うようにして眺めながら歩いた。

 私たちは地図上のところどころにあるマークを目指して歩いたいった。

 大きな台風が通り過ぎた直後だけあって、高い木が倒れていたり、実が熟していた果物が落ちてしまっていた。台風後のそういう風景は家のマンションの周りでは、ほとんど目にした事がなかった。台風については、それまでは、台風という自然現象と、街やビルという人工のものとのぶつかり合いというイメージしかなかったのだが、こういうふうに自然と自然もぶつかり合ってしまうんだと改めて知った。

 とても澄んでいる静かな空と、葉の面に残された雨雫が夏の陽射しに照らされ、あちらこちらで光の粒が反射しているあぜ道は、歩き続けると不思議な世界に繋がっていくような気分にさせられた。

 

 

 マークのあるところにたどり着くと、木に紐で結びつけた紙に指令が書かれており、そこが梨畑だとすると、「江藤さんに梨をごちそうになろう」、と書いてあった。

 その指令にどう対応してよいか困って躊躇していると、祖父はスタスタと近くの直売所に入っていき、ドアか顔を出すと、手招きして私を呼び寄せた。

 できれば見知らぬ人と会話するのを避けたい年頃になってきていたので、重い足取りでドアに向かっていると、祖父は少し離れた所にいる私を指差した。

「じゃーん。あちらがわしの孫の勇人です。そして、こちらが梨畑の江藤さん」と年配の女性を指差した。

 江藤さんは、ぎこちない会釈のような挨拶をする私に、

「勇人ちゃん、はじめまして。はじめましてだけど、おばちゃんは勇人ちゃんのことずっと知ってますよ。勇人ちゃんのおじいちゃんがここ来るたびに、いっつも話してるもん」と言って笑うと、私の方に近づいてきて、

「いきなり知らないおばちゃんでびっくりしたでしょ。でもね、これでここはクリアー」と言いながら、私の首に手作りのメダルを掛け、これはクリアーしたアイムでーす」と言ってレジカウンターに戻ると、昨年帰省した時に、祖父が持っているのを見て、私が欲しがっていた釣竿と同じ型で新品なものを持ってきて、私にくれた。

 私は、予期せず、しかも自分でも欲しがっていた事を忘れてしまっていた釣竿を貰った驚きと、たぶん初めてアイテムという言葉を使ってみたが、うまくいえなくてアイムとなってしまったおもしろさと、江藤さんの優しさを嬉しく思った。

 

 他のマークは、祖父だけが知ってる美味しいキノコの生えている場所を示していたり、野良猫の集会場だったり、一番魚がきれいに眺められる川縁だったりした。場所によっては、「ここは、今日は道が悪くて行けねっぺからクリアー」と言ってポケットに入れていたマジックを取り出して地図にバツをうった。なかには、以前連れて行ってもらったことがある場所だったところもあったが、祖父の行為がありがたくて、前に連れて行ってもらった事があるとは言い出せなく、まるで初めて来た場所のように喜んだ。

 お昼は一回家に帰り、みんなで昼食を食べた後、祖父と私は続きをクリアするために再び出掛けた。

 昼食前に、私の釣竿や、他のマークをクリアして手にした、ルアーと釣りの本を目にした母は、

「勇人、これ本当の宝探しじゃない。よかったわねー」と少し目を丸くして、

「私用の宝の地図もないかしら」と笑った。

「途中で江藤さんというおばさんにもらった梨がね、すごく美味しかったんだよ」と私は梨のことを強調して伝えた。

 

 

 

 いくつかのマークをクリアして、帰りは夕方になった。私は帰省のたびに祖父が連れて行ってくれる駄菓子屋でお菓子を食べたので、お腹は減っていなかった。

 宝探しの途中では普段と同じく道で、人、とくに若い人に出会うことは殆どなかったといえども、クリアした時にもらうメダルを首から下げているのは恥ずかしかったので、すぐに外そうとも思った。しかし、2つ目、3つ目と増えていくに従って、その恥ずかしく思うという弱い気持ちを、心の奥に追いやることにした。厚紙で作られてあるメダルの形は、少しずつ見た目を変えているものの、明らかに、全てが祖父一人の手による作業によって作られたものだとわかったからだった。

 さすがに、駄菓子屋に入るときは外したい気持ちに駆られたが、祖父がどこかから厚紙を買ってきて、それをメダルの形に切っている姿や、筆を使って地図を書いている姿、朝、宝探しに出掛けるより早い時間にマークのところに張り紙を結びにいったり、江藤さんのところとかに宝を置かせてもらい、台詞を伝えている姿を思うと、一瞬でもメダルを外したいと思った自分を情けない孫だと感じ、宝探しの途中でメダルの紐が切れてしまわないように、メダルの下にそっと片手を添えて歩いた。

 

 

 

 木々の輪郭が色濃くなっている帰り道、私は祖父に「今日はありがとう」と言った。

 言う前には、どのタイミングで伝えれば良いのだろうかとうまく言い出せないでいたし、言った後も、今日は、ではなく、今日も、と言うべきじゃなかったのかと、自分が、まるでプレゼントをもらったのが嬉しいから感謝したと思われちゃわないかと余分な心配をしながら歩いた。

 

 

「ゆっくん。なめちずって知ってるか?」

 祖父はそう発言するのが、はじめから歩くという動作のなかの1つであったかのようにごく自然に私に尋ねてきた。

「なめちず?」

 私は、慎重に聞き返した。

 たった今、祖父からその言葉が発せられるのを聞いていたばかりなのに、その言葉を、どう発音したらよいか自分ではわからなくなってしまっているように感じた。

「ゆっくんが大人になって、いつか、なめちずを手に入れる事があったら。その時は、しっかりと受け取った方がいいと思うぞ。

 祖父が真剣な話をしているのか、何らかの祖父流の冗談を言っているのかわからなく、私は次の言葉を待った。

「そして、もし受け取ったとしたら、そのことは誰にも言わない方がいい」

 祖父は、ずっと前を見て、そう語った。

 少し斜め後ろを歩いていた私は、祖父の表情を見る事はできなかったが、祖父の背は、道ばたの木々が夕日を浴びて築く陰の色とおなじ濃さを宿していたように思い出す。

 ツーンともシーンともつかない蝉時雨の音が梢を微かに揺らしていた。

 

 

 

 帰りの電車のなかで、父は私が手に入れた宝の1つである釣りの本を読みながら、

「俺もこんな恵まれたウォークラリーに一度でもいいから参加してみたいなあ」と言った。

 父が近海魚の写真が載っているページを見はじめた時に、

「そういえばさ、なめろうってどんな魚?」と尋ねてみた。

 父は見ていたページの前後の何ページかを捲って、いくつかの写真を確認した後で、

なめろうって魚の名前じゃないと思うぞ、たぶん」と言い、「お母さん、知ってるかもよ」と母の方を向いた。

 母は、来る時に家から持ってきた女性誌を眺めたまま、

「私、全く知らない」と返事をした。

 私は釣竿から外してあるリールのハンドルをくるくると回しながら、

「それじゃあ、なめちずってなに?」とそんなに興味がなさそうな素振りで父に尋ねた。

「えっ」と言うと、父は本から顔をあげ、しばらく宙を見つめてから、

「なんじゃ、そりゃ?」と、変なことを言い出すなあと私のことを不思議顏で見ながら、

「それ、漢字で書くとどういう字なの」と尋ねてきた。

 私は少し考えてから、

「わかんないけど、ちずの漢字は、地図の地図だと思う」

「地図って、マップの?」

「うん、たぶん」

 父は首を一度横に捻ってから、

「じゃあ、なめは?」と聞いた。

 私は、父の前で、しかも電車内でその言葉を口に出すのは少し恥ずかしく感じ、なにもここで聞かなくてもよかったなと思いながらも、好奇心に押され、

「なめは。うーん。そう言えば、なめろうとなめってどう書くの?」

と逆に尋ねた。

なめろう?」と言って、父は首をまた一回捻ると、

なめろうかあ。なめろうなめろうねえ」といって少し黙ると、

「その本に書いてないか?」と私に聞いた。

「さっき見た時、書いてなかったじゃん」と私が答えると、

「あ、そっか」と言って頭を軽く掻いた。

「うーん。なめろうねえ」と呟いたまま、父はしばらく黙っていたが、

「たぶん、ひらがなじゃないか。なまこ、あ、なまこは漢字があるか」と自分で修正し、

「でも、ひとでとか、いくらとか、ああいう海のものは漢字があるって気がしないけどなあ」と呟いた。

「じゃあさ、お父さんの知ってる、なめって漢字で何か合いそうなのない?」

「なめねえ。うーん。なめ。なめ」と父が絞り出すように考えていると、

「なにそれ、さっきから同じような言葉ばかり言い合って」と母が口を挿んだ。

「なめって漢字がさ、思い浮かばないんだよ。舐めるしか」と言って、父は軽く自分の舌を出して指差した。

「なめって、ベロでなめるのなめ?」と私は聞いた。

 若干神秘的な響きを帯びていた、なめという言葉が、急に、なんだかいやらしいだけで、馬鹿げた言葉のように感じた。

「もう、やめなさい。そんな変な言葉ばかり繰り返すのは」

 母がそう言って、私たちの会話を制した。

 父は、母に叱られるようにして会話を止めさせられた事に不満があるかのように、

「なめって漢字、結構難しいんだぞ」と呟いてから、私の肩に手を掛け、私の耳を自分の顔に近づけさせると、

「お母さんも、絶対になめなんて漢字かけないはずだぞ」とどうにか聞こえるような細い声で言ってから、私と見合わせ、目で軽く笑った。

 

 すこし経って、母が手にしていた雑誌を鞄に入れ、目を閉じた。

 父は腕をあげて伸びをしながら、母が眠りに入っていることを確認するようにしばし横目で眺めた後、

「さっきの。あれ、誰が言ってた?」と私に聞いた。

 私は起きているかもしれない母に聞かれないように、小さな声で、

「さっきのって?なめちずのこと?」と確認した。

 父は小さく頷いた。

「じいちゃんが言ってたよ」

 父は、声を出さずに、ふむと言うような仕草で頷くと、

「いつ?」と聞いた。

「宝探しの帰り」

 父が何かを知っていて思い出したのかもしれないと思い、私は固唾を飲んで父を見た。

 父はしばらく何かを考えているように正面を見つめていたが、やがて、 

「あの家系は、人に取り入ったり、人を煙に巻いたりするのがうまいからな」と呟くと、長い間、窓の外を眺めてから釣りの本を僕の鞄に戻し、

「やっぱり座って乗れる電車だと、あっという間に眠たくなっちゃうなあ」と言って欠伸をしてから、目を瞑った。

 

 

 

 私のなかでは、なめちずは、とりあえず、

 舐め地図

 という漢字で納まることとなった。

 それ以外に当てはまりそうな漢字が思いつかなかったからだ。

 気にはなったが、調べる由もなかった。

 

 

 

 

 中学校に入ると、途端に夏休みは部活動一色になった。

 部活動の練習に行くより祖父の家に行く方が何倍も良かったが、生徒は全員何らかの部活動に参加しなくてはならないので逃げ道はなかった。

 帰省をするときも自分一人だけで電車に乗り、遅れて到着し一泊だけして先に帰ってきた。そして、私に合わせるように、次第に両親も滞在期間が一泊だけになっていった。

 あの日以来、江藤さんにお会いした事はないし、ネコの集会場にネコが集まっているのを確認した事もなかった。

 祖父とは何度か一緒に散歩や釣りに出掛けたが、舐め地図のことを聞いた事はなかった。何度か聞いてみたいと思った事はあったが、聞かなかった。

 あの日以来、一度として祖父から、なめちずという言葉もなめろうという言葉も口にしているところを見た事がなかった。もしかしたら、あの地域に住む人々は昔、方言として、なめという言葉を使っていただけなのかもしれないし、あの当時、祖父のなかでだけ、その言葉を言うのが一時的に流行っていただけなのかもしれないとも思った時もあった。

 

 

 そのうちに、なめちずという言葉は、たとえ祖父に対してであろうと、容易に口にしてはいけないものなのだと思うようになった。そして、もしその言葉を尋ねたとしても、実際に私がなめちずというものに遭遇していないのであれば、祖父は何も答えないだろうし、もし私がこれから先になめちずに触れる機会があるとしたら、それがどんなものかわからないが、その時は自分で判断しなくてはならないのだろうと自然と思うようになっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 インターネットが世に出回った当初、私も多分に漏れず興味を持って使い始めたのだが、しばらくすると自分には調べたいものがそんなにないことに気付いた。

 今ほどわかりやすくコンテンツを提供してくれるサイトやニュースサイトのようなものがネット上になかったので、何を見るにおいても、まずは自らが検索をするという能動的な態度で取り組まなければならなかった。しかし、自分のなかでネットで検索して確認したいほどに気になっている何かを思い出そうと、頑張れば頑張るほど何も思い浮かばず、焦りのようなものが、それ自身がどこに向かうのかわからないまま体内を駆け巡っているような不思議な感覚に陥ったりした。

 ネットで検索する前に、自分自身を検索をしているような、そんな気分だった。

 

 インターネットで検索したくなるものを探すために、通勤中の電車の窓から外に見える景色をいつも以上に隈無く眺めたり、普段は読まない雑誌をコンビニで立ち読みしてみたりなどという行為をしている自分に気付いていた。

 

 

 

 職場で、「インターネットやってると、すごく楽しいし為になるけど、あっという間に何時間も過ぎてしまって寝不足になるのだけが悩みの種だ」というような会話をちらほらと耳にすることがあり、一体どういうことを検索していると、そんなふうに時間を忘れるほどに没頭できるのかと尋ねてみたくて仕方がなかった。しかし、その質問は自分の薄っぺらな知識を露呈してしまうことなると思うと気後れしてしまった。そして、インターネットによって自覚するまで、そんなふうに自分が薄っぺらであることすら認識していなかったという事実は、自分を叱咤してしまいたいような気分になることへの充分な理由となった。

 

 

 

 

 ある朝、新聞を読んでいる時、旅行ばかりが掲載されている広告ページに目が留った。その広告はマジカルミステリーツアーとビートルズの曲のタイトルを冠したバスツアーのものであった。カタカナ書きのため、別府・湯布院三泊四日とか、飛騨高山紅葉散策の旅といったような漢字のツアー名が紙面の大半を占める国内旅行の広告の欄のなかでは浮き上がって見えた。

 私は、これは検索に使えそうだと思い、隣室に移動した。

 妻が作ってくれたタオル地のキーボードカバーのおかげで、どうにか全身が埃まみれになるのを免れているといった体のデスクトップパソコンを立ち上げると、

『マジカル ミステリー ツアー バス』

と入力した。

 

 

 マジカルミステリーツアーは日程だけが決まっているバスツアーで、旅行者は当日になっても行き先や旅程を教えてもらえなく、当日バスに乗り、バスが進行していくなかで徐々に旅先が明らかになっていくというものであった。

 たいていの所は既に行ってしまって次に行きたい所が見つからない通好み向けなのだろうか、それとも、旅行に行くと決めたものの行き先を絞りきれないでいる旅慣れていない人向けのものだろうか。そう思いながら、このツアーは一体どんな所に行ったりするものだろうと気になり、ツアー体験者が書いている記事がないかと調べてみると、

 

 私たちの回は富士五湖でした。

 富士山に向かっているのがわかった途中、今回私と一緒に旅行した旧友は、「去年、河口湖行ってきたばかりなのにー」と少々落胆しておりましたが、ツアー会社の趣向を凝らしたウォークラリーのおかげで、おいしい高原ヨーグルトを販売しているお店や富士山がきれいに撮れるベストスポット等を今回初めて知ることができて、とても充実したものになりました・・・

 

という文章に当たった。

 

 

 なるほど、ウォークラリーね。

 たしかに、そうすれば同じバスに乗ってる他の旅行者とも気軽に打ち解けあえるし楽しいかもしれない。

 ウォークラリーなんてじいちゃんにやってもらって以来一度もないなあ、と思った時、ふと、舐め地図という言葉を思い出した。

 

 もう、ずっと昔に、心のなかのどこかの倉庫に置き忘れてしまっていた言葉だった。

 

「舐め地図・・・か」

 

 私は、私が生きているこの時代に、インターネットというものが世に出たというのは、恐らく、私の場合においては、この言葉を検索するという理由がそこにある為なのではないかと思い、テキスト入力箇所に慌てて文字を打った。

 

 

 

舐め地図

 

 

 

 私は勢いづいて前屈みになった姿勢のまま、検索結果として表示されたサイトのリンクを、次から次へと片っ端に開いた。

 

 

 

 残念ながら、私が望むような舐め地図に該当する記事を載せたサイトは皆無だった。

 それどころか、舐め地図という言葉に完全に一致する文字を含んだ記事は1つも見当たらず、検索順位が20番目になる前に、舐め地図どころか、舐め、にも、地図、にも該当しない全く関係のない広告のようなサイトや、文字が正しく表示されないサイトばかりとなってしまった。

 

 ツーンともシーンともつかない音を微かにたてているデスクトップパソコンを、私はしばらく眺めていた。

 

 

 

 

 私は、今でもたまに思い出すと、その言葉を検索している。